医者が介護の邪魔をする! (介護ライブラリー) epubダウンロード
医者が介護の邪魔をする! (介護ライブラリー)
によって 矢嶋 嶺
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医者が介護の邪魔をする! (介護ライブラリー)の詳細
本のタイトル : 医者が介護の邪魔をする! (介護ライブラリー)
作者 : 矢嶋 嶺
ISBN-10 : 4062824272
発売日 : 2007/8/28
カテゴリ : 本
ファイル名 : 医者が介護の邪魔をする-介護ライブラリー.pdf
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医師はどうしても技術を追うことを目的としがちで、著者も医学生時代、教授から誤診や手術の失敗例を聞いたことがなく、病理学の授業で、病死患者の解剖をして診断の間違いや手術の失敗を勉強したが、若気の自信の陰に埋もれてしまい、50代になってようよう肺がん・胃がん・乳がん等の検査には見落としがあり、例え早期に発見しても死んでいく患者も多いこと、抗がん剤は投与しても効果がなく、腫瘍が小さくなっても結局は死んでいくこと、手術も治癒を期待できぬものに対してメスを入れすぎるのではないか、主観的な診断に頼り人を切り開く快感のために手術していたのではないかと疑問を持つようになった。更に手術は成功したが患者は死んだ、手術してもしなくとも生存期間は変わらなかった、術後病状悪化により再手術をした、輸血が元で劇症肝炎で死んだ、との経験もしてきた。外科手術は、やってみて、長期に亘って観察しなければ効果の程は分からないという現実があるが、外科医が手術をやり過ぎるのは、治るかも知れないとの期待以外に、「名医になりたい」「世に知られたい」との欲求と無関係ではなく、手術以外の方法との比較について考えを巡らすなどという事はあまりしない。そのような視点で見てみると気付きは多い。予防検診は、健康な人までも病人に仕立て上げ、現代医療へ人々を捉える罠として働き、医療費を押し上げ、放射線・心理的不安は身体に悪影響を与える。日米でも癌撲滅運動を行っているが、早期発見されようが死亡率は減少せず失敗に終わり、自覚症状のない人への健診は、自立性を失わせ、害を及ぼす事は、意味のない集団検診の戒めとして「フィンランド症候群」と名付けられ、医学者にも有名。病気になったり、障がいがあるようになるのは、個人の健康への努力が足りないからとされてしまうが、努力すれば健康で長生きできると思い込ませて、脆くなった年寄りの身体に医療関係者がぶら下がっているという、医療関係者にとって都合の良い図式が出来上がっている。健康福祉増進法だとか、メタボリックシンドロームのような生活習慣病対策は、ナチスも推進していたもので、ファッショ性が高い。血清コレステロールについても、上限の220mg/dlという数字に、反証に耐えうる真の科学的根拠はない。300kg/dlを超えるような人は、心筋梗塞などの心配があるが、脳梗塞に関して言えば、軽度超過ではそんなに危険性はない。コレステロールの問題は、欧米で盛んに議論され、統計学的結論からコレステロール値を下げることが推奨されたのだが、日本人の場合、血中コレステロール値が上がっても欧米人ほど心筋梗塞にならないとのデータもあるどころか、軽度であれば、血圧共に高めの方が長生きされているとの福井市の報告もある。また低すぎても問題で、癌や鬱病の発生率が上がり、自殺者が増えることにもつながる。日本でも有数の長寿県である長野県は、「老人医療費が低い」「共同体がまだ残っていて在宅医療が盛んだ」と言われるが、入院期間が日本一短く薬も少ない方が長寿であるのならば、裏を返せば、医療にドップリ浸かると寿命が短くなるというブラックユーモアになってしまう。薬品についても、有効性実験として二重盲検法を取り入れているが、医師とメーカーの間になれ合いと便宜に対する見返りが見え隠れしており、名古屋大学や防衛大学の元教授が逮捕された事があったし、タミフルと横浜市大教授の怪しい研究費問題も明らかになったように、有効性が作り上げられ、しばしば研究にも誤魔化しが起こる。効果判断は医師の主観で決められる事が多く、信仰の如きものが入り込める非科学的な世界であった証左として、99年になって「科学的根拠に基づく医療の推進」が、日本医師会のスローガンとして導入されたことが挙げられる。耐性菌の巣窟である病院内では、MRSAやVRE等、医療の手に負えない多剤耐性菌や、抗生物質を食べて生きる菌も発見され、感染者が続出している。患者の取り違え、検査ミス、手術ミス、薬品調合ミスなど「ヒヤリ・ハット」、診断・手術に関する医療過誤もあり、我が身を守る為には生命に関わらない限り入院せず、どうしても入院が必要でもできるだけ短期間で済ませることである。医師に従順に従ってきた患者である読者は、これらをどう考えるか?医療は苦痛を取り除く消費行動で、決して楽しみを得るものではない。だとするならば、出産・死亡の2回だけ人生で関わるのが幸せだと私は考える。これだけ長寿になるとそうは言っていられないが、著者が「地域で生きて家で死ぬ」地域医療をスローガンとして診察しているなかでの指摘は、神の手ドクター以上に傾聴に値する。社会的入院をして、病院から家に戻れず、他に受け入れて貰える先のない、介護病棟の老人の多くは「見守り老人」で、容体が急変して臨死状体になった時、医師や看護師は家族から「手を加えないでそのままにしておいて下さい」と言われる。同じくベッドを並べていながら、それとは別に状態が悪くなった時に家族が「生きてさえいてくれればいい」と延命を願い出る「生かされ老人」もいる。そのような家族の大半は親孝行ではなく、見舞いや病状を尋ねる事すらなく、年金を稼ぐ道具として生かされているに過ぎない。病院側も経営の為と、人間らしい生活を回復させる事は不可能だと知りながらも、つけたくも付けられたくもない胃瘻をしてまで延命に手を貸している。これが病院で死を迎える老人の姿だが、病院で栄養値を決められ、浮腫を起こしたり誤嚥を起こしたりしながら生かされるよりも、徐々に経口で栄養が摂れなくなり、カロリーを落とし、最終的には水分だけで枯れるように命の灯火を消す事ができれば何と幸せな事か。最後に著者による「老親に捧げる提案」を挙げる。姥捨て場所が、山から病院に変わっただけの幸せではない老後の不安に怯えるよりも、老いを芳醇と捉える事ができるようにするための提言でもある。息子夫婦を家に従属させず、親から息子達を開放しよう自分たちが舐めた苦労を彼らに与えないようにしよう女性も男性も同じように働き、夫婦協力して子どもを育て、老人は社会保障に任せよう老人も、ケアを私的なものから社会的なものに変えるように、若者と一緒になって運動し、政府に福祉のなんたるかを訴えよう日常的なケアは社会的なケアに任せても、親子は心の交流を絶やさぬようにしよう在宅で生き抜き、必要によっては老人集合住宅、ケア付き住宅など快適な施設を利用することも辞さないだけの心づもりをしようくよくよ健康のことだけ思い悩むより、障がいを負っても明るく社会で生き抜くために、明日の天気を心配するより今日を楽天的に生きる工夫をしよう
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